高度成長期

現像したフイルムを乾燥させている様子。まだ写真とフイルムが同じ寸法だった時代なので1コマがA4サイズ近くある。営業の終わった夜間に自然乾燥させる。うちでは犬も猫も飼っていたが、長尺フイルムを吊るしていても決してじゃれついてパーにする事はなかった と聞きますが、それって単に酢酸の匂いを嫌っただけではないか、と今では思います。

車庫法がなかった時代なのでみんな自宅前を駐車場にしていた。それで不便ないくらい自動車は少なかった。

店の前から本通方向を見る。スーパーマンやひみつのアッコちゃんが更衣室にしていた電話ボックスが見えます。下駄のおばあさんなどは3丁目の夕日に出てきそうな出で立ち。

昭和38年、同じ場所。まだ本通の呉信用金庫ビルが建っていない。

画面左が現在「海軍さんのコーヒー」で知られる昴コーヒー店になる。まだ中通に共通意匠のアーケードはなく、店ごとにバラバラに設置する状態だったので時々屋根の切れ目があった。また、歩道と車道の堺にコンクリの衝立が設置されていた。

現在、福屋百貨店のある場所は協和銀行だった。

祭りの御幣さんから、10月頃とわかる。お茶の春華園、中央薬局などは戦前からの店で、戦前の地図にも載っている。

呉ではじめての百貨店だった大呉百貨店が見える。当時の中通は歩行者天国ではなく、普通の車道だった。

呉信用金庫向かいの交番あたりから境川方向。

同じ方向を店の前あたりから。

現在は「大和のふるさと」と書いた鉄板で覆われているが、大和ミュージアム開館のちょっと前まではガントリークレーンのトラスが見えていた。隣の「コ」の字を伏せた形のガントリークレーンも今はなくなっている。

音戸方面に向かう途中、丘を降りた坂の先、係船堀には戦前からのクレーンがあった。

音戸大橋は当初、料金所があった。その後建設費を回収できたので廃止された。

市役所の堺川側には動物園があった。写真の時点では閉園しているが、大きい鳥かごが確認できる。現在は公園になっている。

昭和44年の時点ではまだ遊具の鉄塔が見えます。調べてみると開園は昭和32年で、昭和50年にはまだ管理人が住んでおりました。(同級生でした)

呉線は昭和42年まで蒸気機関車が走っていた。

現代の写真ではあるが、呉市営の塗装はもう見られないのでここに。

ボンネットバスは経営が広電に代わった後もこの塗装のまま保存され、現在も時折観光地巡り便として休日に運行されている。

稲田写場

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