この中の501は自衛隊の潜水艦1号、二次大戦でも使用されたアメリカのガトー級が自衛隊に払い下げられたもの。今と設計思想が違うので水上艦のように艦首が尖っている。
501、511、522、56〇 と、初期の潜水艦が全て揃っている。画面右に見えるFバースも現在と比べると随分短い。
昭和40年頃まで、艦の名前は舷側に大書されていた。
昭和30年代にはまだ復旧の終わらない場所もあったようで、旧海軍工廠だった工場の中には一部骨だけのところも残っている。
総監部には「うめ」が実習艦として係留されていた。
この当時は桟橋が少なかったのか、沖にブイ係留する艦も多かったという。
昭和42年の呉教育隊。大和の建造ドックにはまだ水が入っている。今のように鉄板で覆ったのは平成になってからだったでしょうか。
道路もこの当時は練兵場の角で曲がらずに直進し、大屋根のすぐそばも一般道でした。
別の角度から。手前は宮原高校。
教育隊の中には飛行機も展示されていました。
同じく教育隊の中。屋根に「DANGER NO LANDING」(危険、着陸するな)と書いてあります。確かに広いグランドは空母の甲板くらいはありそうですが、英語で書いてるあたり、進駐軍のパイロットに試した猛者でもいたのでしょうか。
昭和40年頃の教育隊
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